どろぼうの風呂敷はなぜ唐草模様なの?意味や由来についても解説

日本

皆さんが「泥棒」と聞いて思い描くイメージはどのようなものですか?

多くの方が、顔を唐草模様の風呂敷で隠したり、それを背負っている光景を連想するかもしれませんね。

この記事では、泥棒が唐草模様の風呂敷を好んで使用する背景やその歴史的な由来についてご紹介します。

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「唐草模様」とは何か?

「唐草模様」は日本語で「からくさもよう」と読みます。

この模様は、「唐草文様(からくさもんよう)」または「唐草文(からくさもん)」とも称されています。

唐草模様は、渦を巻くようなデザインや複数の曲線を組み合わせた図案で、植物の葉、茎、または蔓(つる)が絡み合っている様子を表現しています。

この模様は、単に蔓だけでなく、蔓と葉、茎、花が複雑に組み合わさっているバリエーションも豊富です。例えば、以下のような多様なタイプが存在します。

– 牡丹をモチーフにした「牡丹唐草(ぼたんからくさ)」
– 菊をモチーフにした「菊唐草(きくからくさ)」
– 蓮の花をモチーフにした「蓮唐草(はすからくさ)」
– 葡萄をモチーフにした「葡萄唐草(ぶどうからくさ)」
– 桐をモチーフにした「桐唐草(きりからくさ)」

唐草模様の起源や由来は?

唐草模様は、その起源を古代エジプトやメソポタミアに持ち、四方八方へと広がる蔓植物の様子を模しています。

英語では「arabesque(アラベスク)」と呼ばれ、この語は「アラビア風」という意味も持っており、ヨーロッパでは様々な芸術作品や建築に取り入れられています。

この模様は、ローマやシルクロードを通じて中国に伝わり、さらに日本へは奈良時代(710年~794年)に中国から持ち込まれたとされます。

江戸時代(1603年~1868年)には、風呂敷の模様として広く使用されるようになりました。

蔓植物が持つ強い生命力から、「長寿」や「子孫繁栄」を象徴する縁起の良い模様とされ、婚礼での嫁入り道具を包む風呂敷としても選ばれていました。

明治時代(1868年~1912年)に入ると、唐草模様の風呂敷が非常に人気となり、昭和40年(1965年)には年間150万枚を売り上げるほどの大ヒットとなりました。

なぜ泥棒は唐草模様の風呂敷を使うのか?

泥棒が唐草模様の風呂敷を使うイメージがあるのはなぜでしょうか?

明治から昭和にかけて、唐草模様の風呂敷は非常に人気があり、どの家庭にも常備されている日用品でした。

通常、タンスの一番下に収納されるのが一般的でした。

当時のタンスでは、上段に高価な着物や宝石などの貴重品を収納し、下段に行くほど日常的に使う物が置かれていました。

したがって、風呂敷は一番下に収納されることが多かったのです。

泥棒が風呂敷を使う理由を考えると、彼らが何も持たずに盗みに入る場合、盗んだものを運ぶためにまず風呂敷を探す必要があります。

多くの家庭で風呂敷がタンスの一番下に収納されているため、泥棒はまずタンスの一番下を確認することになります。

このため、泥棒が唐草模様の風呂敷を使うイメージが定着したのです。

また、タンスの一番下から確認することには、時間を節約する目的もありました。

タンスの一番上から開け始めると、次の段を確認するためには上の段を閉めなければなりません。これを繰り返すことで、全ての引き出しを開け閉めする必要があり、時間がかかってしまいます。

しかし、一番下から開けると、引き出しを開けたまま次の段を確認することができ、効率的です。

泥棒はまずタンスの一番下から風呂敷を取り出し、下の段から順に金目のものを風呂敷に包み、最後にそれを背負って家を去ります。

当時、唐草模様の風呂敷は非常に人気があり、多くの人が日常的に使っていたため、泥棒がそれを背負っていても特に目立たなかったそうです。

もちろん、イラストなどで描かれる泥棒の姿は後から大いに脚色されたものです。

まとめ

泥棒が唐草模様の風呂敷を使う理由が分かりましたね。

この風呂敷はどの家庭にもある一般的なものでしたから、盗んだものを包んで持ち歩いても怪しまれることはありませんでした。

さらに、漫画やドラマで唐草模様の風呂敷を使う泥棒が描かれたことで、私たちの中にそのイメージが定着したのです。

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